役に立つ決定:電車内で急な腹痛に襲われたときの対処法について
皆様
ご無沙汰しております。
もう何かを「決める」ことにこだわらず日々の雑記とか、書評とかにしてしまおうかな、という気持ちも大いにあるのですが、もうちょっとだけ何かを書き連ねていきたいと思います。
(書き終えてから思いましたがびっくりするほどくだらないコンテンツです)
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電車内でなぜか起こる腹痛
突然ですが、皆さん、当然電車内で急な腹痛に襲われると思います。
私はもちろんあり、一度や二度ではありませんし、そのたびに今までは神に祈ったり、急いで電車を降りたりして対応してきました。
某巨大掲示板でも、日々急な腹痛に襲われ、結果として陰惨な最期を遂げる報告が絶えません。
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我々は便意の奴隷で居続けなければならないのか?
この状況をなんとか打破できないか?今日も朝の満員電車内で腹痛に襲われながら考えました。
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排泄のメカニズム
ところで、皆様はいわゆる排泄はどこでされていると思いますか?
「いやそりゃK門じゃろ、脳みそ沸いてきたんか」と思われた方、もうちょっとだけ話を聞いていただきたい。
こんな体験ありませんでしょうか。家の最寄り駅についたあたりではまだ別に気にならなかったものが、家が近づくにつれてどんどん強くなり、トイレに駆け込んだ頃にはマックスパワー、ズボンを脱ぐのももどかしく焦りに焦り、なんとか間に合う。
私は何度もあります。
これは、家が近づくにつれて、「ああ、やっとトイレに行ける、これで排泄ができる」という安心感を脳が感じていることから生じているのではないでしょうか。
つまり、排泄は現象としてはK門で行われていますが、「脳」が行っているのです。
脳が、「おう、そろそろしてええで」と言い、K門から排泄が行われるのです。
(緒説あります)
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どうやって立ち向かうべきか?シンプルな回答
それを踏まえて、どうすれば不慮の事態のときに醜態をさらさずに済むのでしょうか。
本日私がトライして成功したのは、
「自分を完全に信じること」
でした。
「自分は今全く排泄行為などしたくないし、完全にそれをコントロールできている」
と自らに声をかけ続けることで余裕をもって駅のトイレにたどりつき、誰一つ傷つけない日曜日よりの使者よろしく、かなりスマートにことに至りました。
たとえ神に祈ったとしても神は何もしてくれません。
全ては自らの意思、思い、考えを常に持ち続けることで不随意的と思われていた便意すら、コントロールできる、ということを発見したのです。
この当たり前のようでいて知られていないことは、今後も多くの方を救う、その信念から本稿をワールドワイドウェブ上に残すことにいたしました。
電車内で急な腹痛に悩む諸兄、是非参考くださいませ。
むすびに
そして何より、こういったことにならぬよう、日々規則正しい生活をし、食物繊維などを摂りながら、ゆったりとした朝に排便を済ませてから出社されることを強くお勧めいたします。
本日の決定:自分をコントロールできる、ということを信じる。そして食物繊維を日々摂る。
決定とも言えない決定:「私」についてのご説明
皆様いかがお過ごしでしょうか。
特段、何かを決められておりません。
早くもブログとしての体裁を失いつつある、その事実に驚愕しています。
こうなっては、ブログのIDを「mrdecide」などとしてしまったこと自体が悔やまれます。
しかしながら、今日は自分の話をすることに決めました。
少しだけ「私」の話をさせてください。
「私」について
私は地方の高校をそれなりの成績で卒業し、それなりの大学に入り、
それなりにさぼりながらも就活をし、名前を言えばそれなりにわかるくらいの企業に入りました。
数年間働き、中ではそれなりに人から評価されたり、感謝されたりすることもありました。
もちろん、全てが順風満帆ではありません。
大きな失敗をして失跡されたり、激務に心を病んで一時休んでしまったりしたようなこともあります。
しかし、大きな流れで言えば、自分の人生を客観的にみると、それなりに「いい」生き方をしていると思うのです。
大づかみには安定しているが、日々の仕事は世にいう「面白い」仕事です。
会社も決してつまらない会社ではありません。
それに、友人たちもいます。十年来の友人や、ここ一、二年で急に仲良くなった友人たち、休日に連絡すれば誰かは捕まえることができて、管をまいたりまじめな話をしたり、楽しく、面白く、過ごすこともできます。
「私」の内面について
客観的にはある程度幸せな状況であるにもかかわらず、いつまでたっても主観的な幸福感は得られていません。
自分は「人より劣っている」という気持ちが拭えないのです。
自分が、何か、決定的なものが欠落しているような気がしていて、たとえ何をしてもうまくいくイメージが湧かないし、成功も「偶然」「一時のもの」という感覚でしか見られないのです。
そして、そこから変わることもできていません。
今までも何度も変わろうとし、周囲にも相談し、変わる決意をしてきました。
それでも、何も変わりません。
どうしたら、ここから脱することができるのか。
いつか、変化を感じる日が来るのか。
今はまだ、わかりません。
正直、日々苦しいです。
再確認:本ブログについて
本ブログは、その苦しみから脱するため、変わるためのブログです。
今までの何もしてこなかった自分から、一つでも変わっていることを記録するためのブログなのです。
このブログに書くことは、私が今までしていないことです。
このような自己開示もそうです。
今日のブログは陰鬱で、見るに絶えず、誰も得をしないものですが、
今の私の状況を、しっかり残しておきたいと思い書きました。
何もまとまっていない、お目汚し、大変失礼いたしました。
よき夜をお過ごしください。
本日の決定:この辛さを、苦しさを直視する。何度でも、変わる決意をする。一つずつ、残していく。
しょうもない決定:仕事終わりの銭湯は最高、ということからみた休息の取り方
皆様お世話になっております。
本日は結論から申し上げます。
今日の結論:仕事帰りの銭湯は最高
今日は一日イベント運営みたいな仕事をしており、足がガタガタ、パンチキチン。10時に開放されたものの、体も気持ちも底付近でした。
通常、そのまま家に帰ってカップ焼きそばなどを食べてからちょっとネットなどをして寝ても、すぐ朝になってしまい、疲れなど全くとれた気がしません。
※東北人が涙を流して喜ぶカップ焼きそばです。
みなさん明日職場の東北人に聞いてみましょう!
そんなことでは生きていくのがつらいだけですので、今日は能動的に疲労をとるべく、
銭湯にいくこととしました。
行ったのはこちら。
端的に言って最高でした。この銭湯が何か特別か、というよりも、
「仕事帰りの銭湯」という概念が最高なのです。
湯に入り、温まったところで水風呂にはいり、呼気がうっすら冷たくなったところでまた湯に入る。これを3,4回繰り返したところ、パンチキチンだった足も生気を取り戻し、明日の仕事を思って憂鬱だった私も生きる意義を取り戻しました。
深夜料金込みで800円かそこらでこれです。最も高い、つまり最高です。
日頃、ありとあらゆる決定から逃げている私は、睡眠ですら惰性でとっていることが多く、ネットをしながら寝落ちをしたり、本を読みながら寝落ちをしたり、ハイパーセルフプレジャーとともに寝落ちをしたりしている日々ですので、なんとなく常に疲労感がありました。
今回の件を踏まえると、やはり、人間休んだほうがいい。さらに言えば能動的に休んだほうが休んだ気になる、ということを至極当たり前ですが確認できました。
今後は定期的に「休む」を予定に入れて生きていきたいと思います。
本日の決定:週に一度は能動的に「休む」
しょうもない決定:合コンで「好きなタイプは?」と聞かれたときの対応
皆様お疲れさまです。
2回更新したところで毎日更新することの困難さ・煩雑さと向き合うこととなってしまいました。
やはり僕は弱い人間です。
ただ、こうして改めて書き始めたので、なんぼか進歩があるんだろう、と思いたいと思います。
一日に一つ、は努力目標として今後も精進して参ります。
本日のテーマは合コンで「好きなタイプは?」と聞かれたときにどう対応するか?
ということです。
合コン、諸兄もいかれると思います。
その際には必ずといっていいほど出てくる話題、中学の歴史で言えば源頼朝レベルの存在と思います。
また、合コンなどという浮わついた宴には行かないでごわす、という方であったとしても、妙齢の未婚の方はただ日々を過ごしているだけで
「なんで結婚しないの?」
↓
「理想が高いんじゃない?」
↓
「紹介しようか?」
↓
「どんなタイプが好み?」
みたいな流れで聞かれることもあろうかと思います。
マジ大きなお世話だと思います。
ただ、そもそも私は自分が好きなタイプの異性が定義できておらず、これらのときには
「自分はネクラだから明るい人がいいなあ~」
「なんだかんだで一緒にいて楽しい人」
「自分は食べるのが好きだから、食べるのが好きな人」
みたいな、答えているようでたいして絞れていない、情報量ゼロの回答をしてお茶を濁していたのですが、これでは受け手も困りますね。
しっかり、的を絞ったシャープな回答をここで決めたいと思います。
しかし好みのタイプってそもそもどうやって決めるんでしょう?
誰だって不美人よりは美人がいいし、
不健康よりは健康な人がいいし、
貧乏よりはお金持ちがいいし、
きのこの山よりはたけのこの里のほうがいいはずです。
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しかし、自分の奥底から出てくるもの、ということはこういったある種「合理的」な考えでないところから出てくるものなのではないでしょうか。
(別にどちらでも人生が豊かになるわけでないが、こっちのほうが好きだなあ、と思えるもの、ということです)
せっかくなのでしこたま考えたのですが、
結論として出たのは
「巨乳」
でした。
自分でもびっくりするほどゲスでしょうもない話なのですが、自分の中で思ったより大事なんだなと改めて認識しました。
ただ、これを直接合コンの塲でぶちこんではただのアホ、妖怪セクハラおじさんです。空気を乱した、として男性陣からも批判されることは間違いありません。
よってなんとかこれをオブラートにくるまねばなりません。
3分考えました。
本日の結論:合コンで「好きなタイプは?」と聞かれたら、
「ほんわかした感じが好きかな~、綾瀬はるかみたいな」
と答えることにする。
本日の決定:ブログの方向性について
皆様
お世話になっております。
無事、2日目を迎えられたことを嬉しく思っています。
今回は、《本ブログの方向性》について、決定していきたいと思います。
コンセプトは「一日一つ、何かを決定する」ことではあるのですが、
じゃあ毎日「今日の昼飯をチャーハンにすることに決めました」では、さすがに人生なにも進歩がないのでは、と思うのです。
(とはいえ、私にとって何を食うかということは本当に本当に非常に重要なことでもあるので、ちょくちょく「今日の昼飯はパスタにすることに決めました」という記事は上がる可能性はあります)
人生において大事なことがいくつかあると思います。
例えば、以下のようなものです。
・そもそも何を人生において一番大事なものとして生きるのか
・何を生業として生きるか
・今の仕事を続けるのか、辞めるのか
・日本に住むのか、海外に移住するのか
・都会に住むのか、田舎に住むのか
・結婚をしたいのか、あきらめて生きるのか
・家を買うのか、賃貸で過ごすのか
これらは、この決定をすることで、
金、時間を一定程度使うだけでなく、ほかの決定にも大きな影響を及ぼす、
まさに「大きな決定」です。
恥ずかしながら、私は30年程度生きてきましたが、上記について、一つたりとも答えを出せておりません。
全て、惰性でここまできてしまいました。
恥ずかしい限りです。
本ブログでは、上記大きな決断をすることを最終の目標としますが、
いきなり「こっち!!!」では自分も納得がいきません。
よって、その前段階として小さな決断を繰り返し自分の価値観を一つ一つ整理することで、
納得のいく、大きな決断ができるようになる、ということを方向性として設定します。
ということで、しばらくは愚にもつかないしょうもない決定を繰り返す日々としますが、
お付き合いいただけましたら幸いです。
本日の決定:最終的には大きな決定をする。そのために、日々小さな決定をする。
一日にひとつ「決める」ブログを開設しました
皆様
お世話になっております。
本ブログは優柔不断で人生に詰まって来ていて、
仕事もうまくいかなければ恋人もいない、いいところのない「私」が、
今後の人生に誇り持つべく、一日に一つ何かを「決め」ていくブログです。
「人生は選択の連続である」などと言われています。
しかし、私たちは日々の暮らしの中で選んでいる選択肢を
どれだけ認識しているでしょうか?
そして、認識しないまま日々を過ごすことと、
「自分はこれを選択した」と思いながら生きること、どちらがより幸せでしょうか?
私は、後者の立場をとります。
前者のままでは、自分が今幸せなのか不幸せなのかも判断できず、
また、判断できないことからせっかく得た幸せがあったとしても、
なぜ得られたのかがわからず、
結果として手放してしまうようなことが容易に起こり得ます。
よって、これからは自分の選択を大事にしていきたく、
本ブログは一日何か一つ「決める」ブログにして参ります。
そして、本ブログはそれら選択の集積の記録として、
私の人生において大事にしたいものや大事にしなくてもよいもの、
重要な岐路や全く重要でない岐路を記したものとしていきます。
退屈なものとなるやもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。